性は自然なもの
以前「性は神聖なもの」と書きましたが、最近はちょっと違う感覚をもっています。あえていえば「性は自然なもの」なのでしょう。神聖と言ってしまうと、聖と俗を分けるキリスト教的なイメージがどうしてもつきまとうし、動物的な、オスメス的な部分も認めないとおかしなことになるし、性行為の時間が短ければジャンクセックスとレッテルを貼るのも変だし等々、いろいろ考えるところが多くあります。どう考えても性は自然なものでしょう。そこに宗教的概念、スピリチュアル的意義づけを持ち込むのには抵抗を感じています。概念化した愛や性は単なる言葉、および言葉から派生するイメージでしかなく、生命あふれる愛や性ではありません。言語化したりマニュアル化したとたん愛や性は生命を失うのでは?